目に見えないしんどさや辛さ。

病気がどうとか振りかざして特別におもわれたいとか、そういう気持ちは一切ないけれど、逆に必要以上に隠す必要もないなと、最近思った。

色んな人がいる。

 

 2コンボで持っている持病は2つとも血液と自己免疫性の疾患であるため、体にかかっている負荷は外からはみえない。最も、本当にコントロールできなかった時は浮腫と顔色が酷かったなあ。

 

体の中もだけど、心も見えないからむずかしい。

うつは「心の風邪」なんて、思いやりのない人の浅はかな考えで、うつは「心の癌」。

この表現の方が正しいと私は思う。我を喪失して、死に至ることがあるほどのしんどさなのだから。どんなにつらいだろう。

 

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金曜日に通院して、心配だった検査の結果が晴れ、やっと仕事への不安要素が取り除かれた。

ここからは経過的に気をつければいい。

日常が少し近づいてきた気がする。

 

たったそれだけで、胸の奥がすーっと軽くなるくらい嬉しかった。

病院にあるチャペルに感謝を伝える。

 

本当に天気が良くて、売店でミルミル買って(なんか病院にくるとヤクルトを飲みたくなる)、佃大橋から勝鬨橋の間で少し光合成

佃大橋と月島。

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風が気持ちよかったな。これ乗ってみたい。

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花の色がすごく心を嬉しくしてくれた。

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勝鬨橋

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病院の施設の外へ少しお散歩中だった、おばあちゃんに(歩行器を使っていたので、1人で川沿いまでは降りられない)花の写真を見せてあげたら、どうも声は出ないらしいけれど、笑顔でとても喜んでくれた。

 

病気とは、これから人生の伴侶より長く、体の声に耳を傾けながら付き合っていかないといけない相棒であると確信している。
めんどうでポンコツな相棒だけど、それも含めて今の自分なので、愛そうと思った。

 

せっかく今世、「目に見えないしんどさ」というものを、どっぷり体験できるマシン(自分という肉体)に乗ることができたのだから、病でなくても心のことでも、少しでも他人の辛さやしんどさへ…理解まではできなくても、思いやれるひとでいたいとは常日頃おもう。

 

何より、家族や周りの人、環境があってこそで本当に、ありがたい。

最後に、私がおもわず立ち止まってしまった妖気?パワー?溢れる一枚を。

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濃いわ!

明日もよき1日に、なりますように。